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かぐや姫の物語(2013年:日) [Movie(映画・DVD)]

劇場で予告篇を見た際、「これはないな・・・。(観ないという選択肢は基本的にないので、劇場に観に行くことはなく、DVDで十分かな。)」という第一印象。 

kaguya.jpg 

理由は次のようなもの。

1.有名な古典「竹取物語」ということなので、ストーリーの基本構造が分かっているということ。

>竹から生まれた「かぐや姫」が(中略)月に帰る。「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーから、大筋で何かどんでん返しがあるとも思えない。 したがって、原作で語りつくされていないこの「罪と罰」をはっきりさせる内容になるのかどうかが少々気になるという感じ。

2. 作画が一見苦手な部類

> ぼやっとした線だったので、ほのぼの系の話かと思ってしまった。しかし、これは鑑賞後に見解を改めねばならなくなる。

3.作品ターゲットが見えない

>「かぐや姫の罪と罰」というヘビーなキャッチコピーとほのぼのとした作画(予告ではかぐや姫が都を駆け抜ける鬼の形相のシーンを見ていなかった)がどうもマッチせず、これは子ども向けなのか、それとも古典を理解する大人向けなのか見当がつかなかった。そもそも子ども、ファミリー向けならパスなのだが、やはりキャッチコピーが引っ掛かってしまう。

というような理由で 、気にはなっていたが優先順位は相当低い作品だったのだが、テレビの特集でたいそうな費用と年月を掛けて制作されたこと、特にアニメーションの作成は通常の何倍も労力を費やしたということなので、それならそのアニメーションだけでも一見の価値があろうと、11月公開にも関わらず公開延長に乗じて劇場に足を運ぶことになったのである。

2時間を超える大作を観終えた感想はといえば・・・フリーズしたというのが正直なところだ。理解に苦しむというか、解釈の幅が広すぎるというか、これはさぞかし解釈なり、評価なりが分かれるだろうというものであった。

要はすっきりしないで、考えさせられるのだ。 

実際連れ(女性)は「何だか分からないけれど涙が止まらなかった。」との談。他の人の感想はどんなものかとレビューをチェックすると、やはり評価は分かれている様子だ。

評価の論点は概ね、先にあげた劇場鑑賞パスの理由で引っかかっていた点に絞られそうだ。 

以下は内容に触れるので、これから観る方はご注意を。

【原典との乖離】

かぐや姫のキャラクター設定が原典と大きく異なる点。原典ではかぐや姫は立派な大人の女性として描かれている印象を受ける。

taketori.jpg

こんなイメージ。

それもこれも原典の会話が古典会話であることに加え、貴族や帝の求婚を断る際の言い回しや態度などがそのようなイメージを植え付けているのかもしれない。 

一方劇中のかぐや姫はたいそう活発な女の子という描き方がされており、この点に違和感を覚えた人も多かったようである。

そもそも古典の雅な世界観での人物描写はその中に現れる短歌から読み取るなどするより他ならないが、それにしても大胆なキャラクター設定にしたものだ。 

劇中では和歌のやり取りなどは触れられず、その点に期待していた人にも減点材料となったようであるが、果たしてそういった描写がこの「かぐや姫の物語」に必要かどうかは考え方の分かれるところだろう。

また、原典に見られる「不老不死の薬壺」や「富士山」のくだりは出てこないことへの不満要素もあるようだが、「士に富む山」で富士山のような言葉遊び要素はいっさい切り捨てていることからも、このあたりは後日譚としては不要であり、むしろそういった「言葉遊び要素」は、後述するが、オリジナル「童唄」に凝縮されているとみるべきであろう。

同時に竹取物語の元になったとも考えられている「天の羽衣伝説」をにおわせる月世界の天女や浜辺で月を見上げる親子のカットが盛り込まれている点も見逃せないだろう。 

「姫の犯した罪と罰」も原典とは異なるようだ。もっとも何を罪、何を罰ととるかは、見る角度によっても異なるようだが、まずは原典にあたってみると、かぐや姫が地上に来た理由は

>「・・・。おのが身はこの国の人にもあらず。月の都の人なり。それを昔の契りありけるによりてなむ、この世界にはまうで来たりける。」(かぐや姫「・・・私はこの地上の人間ではありません。月の都の者なのです。前世の宿縁によってこの地上にやって参りました。」)

>「・・・。かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かく賤(いや)しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。・・・」(天人の王と思しき人「・・・。かぐや姫は、罪を犯してしまわれたので、このように(翁のように)身分の低いそなたのところに暫しの間いらっしゃったのだ。・・・」 

かぐや姫の言う「前世」とはかぐや姫として竹の中から生まれる前、すなわち月の都にいたときのことと考えるべきであろう。

この「罪」こそが、この「姫の犯した罪」であり、劇中で描かれるかぐや姫の地上への憧れということになるようだ。

そして「罰」の解釈が様々あるようだが、

>「・・・罪の限(かぎり果てぬれば、かく迎ふるを、・・・」(王と思しき人「罰を受ける期限がきたので、このようにお迎えにきたので、・・・」 

原典の天人視点からすれば、「地上で一定期間生活すること」らしいが、作中では「地上で厭な思いをすること」「もうここには居たくないと心底思うこと」という精神的ダメージと捉えさせるか(=もうこんな生活イヤヨ!)、「最後に好きな野山、翁や捨丸たちと決別しなければならい悲しみ」というこれも精神的ダメージと捉えさせるか (=ああ、もう二度と戻れない!)、はたまたその両者と捉えさせるかと、観る者に解釈を委ねるという手法によっているようである。

ここも明確にしていない点が一部物議を醸し出しているようだが、この「謎」めいたモヤモヤ感たっぷりの終わり方は最近の日本アニメによくある手法と見受けられた。

【輪廻転生】

竹取物語の成立時期からして作品に「仏教史観」が影響していることは察することができるが、色濃く反映しているかといえば、後の文学作品程濃厚とはいえないだろう。しかし、「かぐや姫の物語」では、相当濃厚に描かれているようだ。

ひとつは劇中重要な役割を果たすわらべ歌の歌詞である。

まわれ まわれ まわれよ 

水車まわれ

まわって お日さん 呼んでこい

まわって お日さん 呼んでこい

鳥 虫 けもの 草 木 花

春 夏 秋 冬 連れてこい

春 夏 秋 冬 連れてこい

まわれ まわれ まわれよ 

水車まわれ

まわって お日さん 呼んでこい

まわって お日さん 呼んでこい

鳥 虫 けもの 草 木 花

咲いて 実って 散ったとて

生まれて 育って 死んだとて

風が吹き 雨が降り 水車まわり

せんぐり いのちが よみがえる

せんぐり いのちが よみがえる

(三番:天女の歌)

まわれ めぐれ めぐれよ 

遥かなときよ

めぐって 心を 呼びかえせ

めぐって 心を 呼びかえせ

鳥 虫 けもの 草 木 花

人の情けを はぐくみて

まつとしきかば 今かへりこむ

この「輪廻転生」をあからさまに表す歌が「姫の犯した罪」の原因なのだが、そもそも何故これが悪なのかについて劇中で語られていないことが先のモヤモヤの原因の一つともいえる。

そこで物語のクライマックスであり、物議を醸しだしている一因でもあるラストシーンとなるわけだが、これも原典と比較して考えてみることにする。

かかるほどに、宵内過ぎて、子(ね)の時ばかりに、家の辺り昼の明(あか)さにも過ぎて光りわたり、望月の明さを十あはせたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人、雲に乗りており来て、土より五尺ばかりあがりたるほどに、立ちつらねたり。・・・立てる人どもは、装束(しやうぞく)の清らなること、ものにも似ず。飛ぶ車一つ具したり。羅蓋(らがい)さしたり。

これを絵巻物では

Taketori_Monogatari_2.jpg

このように表現しているわけだが、劇中ではなんと

image.jpg

とこんな感じで如来登場!しかも、かぐや姫のご帰還おめでとう!とばかりにメチャメチャ明るいBGMと共に降臨するのだ。

涙にくれる翁達やかぐや姫など眼中になし!何を「俗」なことを言わんばかりの解脱っぷりなのである。

「輪廻転生」は仏教思想ではあるが、あくまでも成仏して極楽浄土に行けないものたちが巡る世界での話である。

ここで輪廻、転生、仏教について詳しく述べることは主意ではないので、詳細は省くが、要は極楽浄土(月のことか?)は解脱(悟りをひらいた仏になること、生きていても悟りはひらけるので、必ずしも死ぬ必要はない)した者が住まう場所で、輪廻のある世界は地上で穢れ多き煩悩の世界、人、地獄、畜生、修羅の世界ということだ。

ん?ということは、かぐや姫は極楽にいったのか?いや帰ったのか?・・・いやいや、もともと極楽の方だから、いわゆる霊?

変化の者?もののけ?この世のものではないことは間違えないようだが、その仏教だなんだという既存の型に当てこもうという試み自体が無理があるのか?

【結局のところ】

2時間超の大作だったが、最後までしっかり観ることができた。絵もいろいろと批判はあるようだが、第一印象ほど悪くはなく、初めての手法という特殊なアニメーションもよかったと思う。

ハッピーエンドへのベストチョイスは何だろうかと考えてみるものの、竹取物語である以上ラストの別れは避けられまいという虚無感に襲われる。

モヤモヤ感のあるまま劇場を後にするので、ネットでいろいろと調べねばならなくなってしまう悔しさ。

結局は監督の思うツボなのかもしれないというヤラレ感。

というのが今の感想に他ならないのである。悔しいがもう一度観なければ気が済まないのである。 

その後、つっかえているいくつかの事柄を少し整理しながら、「姫の罪」調査をしたところ興味深い内容を見つけたので追記しておく。

>「・・・。おのが身はこの国の人にもあらず。月の都の人なり。それを昔の契りありけるによりてなむ、この世界にはまうで来たりける。」(かぐや姫「・・・私はこの地上の人間ではありません。月の都の者なのです。前世の宿縁によってこの地上にやって参りました。」)

の「昔の契り」を「前世の宿縁」と当たり障りないが明確でない解釈にとどめず、明らかに「罪」と解釈しているのが、次のサイトである。

http://okwave.jp/qa/q53104.html

投稿日2001年なので、最近の話ではなく本作品とは関係なく面白い解釈を引用しているので、紹介しておきたい。

確かに「契り」を「男女のよからぬ仲」と解釈すると何やら本編にもあった「捨丸兄さんとの不倫駆け落ち未遂事件(しかも夢のようで現実的ではない描写、最後は月に睨まれ、かぐや姫墜落)」の件も「罪」に関係してるように思えてくるが、前世、すなわち月の都での「罪」となると、月の都で不倫したので追放というのも品のない話になってしまう。。

それとも、月の都で妻子ある男との契りまで妄想してしまったということなのか。

かぐや姫の初潮など妙に生っぽい描写がある点などが、そんなことまで想像させてしまうのか? 

やはり考えすぎなのか、単に思うがままに生きたいと願うことが「罪」だという落ちなのか・・・。 


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yachitake

ご訪問いただき、ありがとうございました。
自分も、かぐや姫は、見なくていいかなと・・・。
絵が好きになれませんね。
by yachitake (2014-01-21 08:20) 

OTENKING

yachitakeさんコメントありがとうございます。
私も絵が微妙だったのですが、テレビで普通の何十倍も手間をかけた「ものすごい」アニメーションだと宣伝していたので、どんなものかと確認の意味も含め観に行きました。
確かにこれまでに無い仕上がりといえるでしょうが、評価の分かれるところでしょうね。
ちなみに私は観た後「これはよくできているな。」と認識を改めた方です。
by OTENKING (2014-01-22 08:25) 

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