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「絆」ってそんなに表に出るコトバなのか? [Words(コトノハ)]

3.11以降「絆(きずな)」なるコトバをあちらこちらで見聞きするようになった。
この「絆」 という言葉が人と人のつながり、支え合いなどの意味で使われるようになったのは、比較的最近のことのようで、元は家畜などを木などに繋いでおく綱の意味であったらしく、切っても切れないもの、またそこからシガラミや呪縛というような意でも使われていたようである。
 
確かに家族の絆といえば、良い意味で使われるケースが多い。
 
たぶん3.11以降の絆の本来の使い方は家族を案じたり、支え合ったするより身近な者どうしの思いやりを指してのことなのであろう。しかしながら、他人との希薄なつながりまでもこの「絆」というコトバでより関係性を強めようという動きがあることが気に掛かる。といより不快だ。
 
折しもfacebook全盛の今日、常に他者と関わり自らをアピールすることへの違和感は依然としてぬぐえないのである。
すでに商業ベースが入り込んだこういったメディアは自由な発言ができない環境へと変わってきている。
 
そんな状況を反映してか否か、次の記事にあるような真のプライベートネットワーク作りが受け入れられ始めたのも頷けるのである。 
  

 
薄っぺらな関係を「絆」とはいえない。そしてきれいごとだけではないのも「絆」なのである。真の「絆」は太くて簡単に切れるものではなく、それだけにごく一部の関係性の上にのみ成り立つものなのだ。それだけ強い関係性を意味するものとして認識している。さらには排他的なイメージさえも付きまとう。
 
ゆえに、支援プロジェクトのキーワードにしたり、Tシャツタオルなどにプリントされている「絆」に多分に違和感を覚えるのである。(けっしてこれらの取り組み自体に異を唱えるものではない。)
 
まあ、今年の漢字などでメディアが取り上げたこともあろうが、もう少しコトバの持つ本来の意味を考えてほしい。 本当の意味での支え合いや助け合いを表す一語が見つけられなかったことが落ちだったりもするのだろう。
 
コトバの意味は移ろい変わるものだけに目くじら立てても仕方ないのだが。。。 
 
 
 

五月病 [Words(コトノハ)]

五月も半ばを過ぎ、一気に初夏の陽気になり、新緑が眩しい。

先週末は体が重く、原因を探ったてみたのだが、どうやら多忙にも関わらず、過度の筋トレなどをしたことがいけなかったようである。

例年季節の変わり目には、体調を崩しがちであったが、気候の変化も加わったこともあり、少々倦怠感に襲われたようである。

さて、そんなときふと”五月病”なるコトバを思い出したので、調べてみると、現在ではうつ病などの精神系疾患とされているようである。

まあ、確かに新年度の環境変化に伴う精神的な疲労等からくる倦怠感を指すのではあろうが、最近この精神系疾患をしっかりと認識して周囲が配慮をすることが大切である云々が、まことしやかにささやかれることに違和感を覚えるのは私だけだろうか。

脳の働きと精神系疾患との関連性が科学的に解明されることで、薬物治療によってそれらの症状が改善されるのは、大変良いことなのだが、過度の薬物への依存はどんな症状でも望ましくはあるまい。

よく”肩こり”は日本人特有の症状(?)と揶揄されるが、人はある事象をコトバにすることで安心を得ると同時に、そのコトバに支配される典型ともいえる。確かにPCを使い続けていると、肩の筋肉が硬直し、ひどい時には頭痛にまで発展することがある。しかし、同時に腕、背中、腰などにも同様のハリを訴えているはずで、肩だけをケアするよりも、体全体の緊張を解すよう心がけた方が改善が早いことも多い。

五月病。明らかに心身ともにリフレッシュを求めているサインととらえ、前兆があったら、思い切り寝てみる、敢えて新しいことを始めてみるなど、まず深みにはまる前に自分なりの脱出法を探すことをお勧めする。決して病院に行くことを否定しているわけではないので、勘違いされないように。悩むくらいなら、特効薬でスッキリするのも次のステップへの大切なアクションなのだ。

くれぐれもコトバの持つ暗示に支配されないようにしたいものではある。 

 


タグ:暗示 五月病
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Vintage(ヴィンテージ) [Words(コトノハ)]

ヴィンテージvintage)。とても、カッコイイ響きのコトバだと思う。
調べてみると、元はワインの高価な年代物を指す言葉に由来し、転じて年代物の価値あるモノに対して使われるようになったコトバだそうだ。

なんとなく使っていたが、改めて調べてみたきっかけは、やはり例のLevi's702を入手してからである。
ヴィンテージというコトバ、特にこのLevi’s(特に501)では、とてもセンシティブなコトバであることに驚くとともに、日頃私たちが使っているコトバの意味の曖昧さを改めて認識させていただくものとなった。

当然ではあるが、昔のモノを現在の素材を使って新しく作って再現したモノはヴィンテージではなく、レプリカになる。それが、新たに(再度というべきか)生産ラインに乗れば、復刻版という風に表現されるのであろう。

(追記:レプリカは他社(者)が本家メーカーを真似て制作した場合に用いられるようで、復刻は本家が再版する場合に用いられるらしい。)

レプリカにコピーという印象の方が強いのは、彫刻などの原型から型を起こして、原型通り作ったものをそう呼ぶからだと思われる。
したがって、レプリカには、粗悪なものと完成度の高いものというランクができることになる。
そういった意味では、コピーには、その手軽さのイメージから粗悪なレプリカというイメージを強く感じる。

(追記:さらにいうなら、いわゆるコピー商品はブランドまで同じにして、本物と偽っているもので、レプリカはいわゆる仕様を同じくしている別のブランドという位置づけのようである)

さて、ヴィンテージに戻るが、これは正真正銘その時代の本物に使われるコトバで復刻版とは別物であることが容易に分かる。
それゆえに、ヴィンテージを愛する人にとって、復刻版やレプリカをもって、ヴィンテージを名乗るもしくは、混合されることへの反発が強いことも明白な訳だ。

彼らの前で復刻版をして「ヴィンテージの501持っています」などとは、ゆめゆめ言わぬよう気をつけねばなるまい。

個人的には、博物館入り級のヴィンテージ501を所持していたとすると、愛好家・収集家としての楽しみよりは、その金銭的価値を評価し、正直なところ買い手がいれば、売り渡してしまうような気がする。
そこに、何か美があるとするなら、またそれを感じることができるとするなら、手放すことはないのだろうが。

ジーンズは好きである。
もっといえば、ジーンズを穿いている自分が好きなのだろう。だから、どんなに高価なモノでも自分に似合わないと思うモノには価値を見いだせない。
要は、ナルシストなのだ。

追記:覆刻・復刻については、出版における原義があるようなので、後日言及するとしよう。

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